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GREETING

代表挨拶

MESSAGE

メッセージ

  • はじめに。

    皆様、リアンコネクション代表の織田でございます!
    このページに来ていただきありがとうございます!

    ベンチャーの顔はまず代表。

    ということで、ありがたいことに多くの方と交流を持つことになり、織田のことを知りたいと言っていただける物好きな方とも多くお会いします。

    そこで私の紹介ページは自由にして良い!と言う許しをスタッフから得ましたので、織田のことをよく知っていただく為のページを作りたいと思いました!

    【概略】

    生年月日:
    1984年10月15日
    学歴:
    中卒
    趣味:
    ゴルフ、ダーツ
    好きなもの:
    たらこスパゲティ
    性格:
    明るい
    色:
    黒い
    見た目:
    いつも笑顔
    代表画像

HISTORY

沿革

【略歴&解説】
自他ともに認める大変ユニークかつ、クレイジーな父母のもとに産まれました。
※エピソードはお会いしたときにでも。

代表インタビューの様子01

15歳より2年半程鳶として働く

中卒にしては給与が良いという理由だけで友人の兄の会社へ入社。
働くと意外と楽しく体もムキムキになり一石二鳥状態。

しかし高いところに登ると変な感覚になることに違和感を覚え始め、周りに聞くと腰が引けているとのこと。

要は高所恐怖症ということに気づきやむなく転職。
私のページに「高いところは怖い」と言う文字が刻まれた瞬間でした。

17歳より
1年半程リフォーム業にて勤務

知人に誘われ、建築の延長線上で経験が活かせるかもしれないということと、
低いところ(床の上)で作業できる環境が自分に向いていると思い入社。

酷い上下関係とパワハラに耐えておりましたが、自分には勤め人は向いてない!と思い始め退職。

私のページに「社長になりたい」と刻まれた瞬間です。

代表インタビューの様子02

18歳 独立を決意

貯めた200万を握りしめ不動産屋へ事務所探しの旅へ。
因みにこの時、事業計画無し。事業内容も無し。

つまり無手で「社長に俺はなる!」というワンピース的な志のみで起業へ向け発進。
当たり前ですが、そんな青年を不動産屋が相手をする訳もなく10社ほど相談に向かいましたがやはり撃沈。

最後に相談した不動産業者の方に「君は失敗する。」と言われ「ならどうしたら良いのか?」と問うと「ウチで働いてみる?」という救いの手で翌日から不動産業者への道を進むことに。

代表インタビューの様子03

18歳後半 
賃貸不動産業者へ華麗なる?転身

一言で表すと「楽しかった」です。

なぜなら年齢学歴関係無しで営業成績のみが評価される世界。
水を得た魚の様にウキウキで毎日仕事をしておりました。

そこでもう一度決意。
「俺はこの業界で社長になる!」
私のページに初めて「事業の構想」が芽生えた瞬間でした。

頭も少しまともに働くようになり、賃貸・売買・収益、それらの仲介や買取りなど、覚えることは山の様に沢山あることは理解ができましたので、30歳までに独立しようと決め、各分野の会社で営業成績1位を取れれば転職しても良い。という自分ルールを決めました。

私のページに初めて「自分ルール」が制定された瞬間です。

19歳

上司からお前は早口だからゆっくり喋れ。仕事はこうやるものだ。と説教され、若気の至りで反抗&不貞腐れた時期がありました。
それでも気になった私は、深夜ジャパネットたかたでボイスレコーダーを購入し、営業トークの録音をしてみることに。

帰りの電車で自分の営業トークを聞いてみるとまぁ酷いもので、泣きたくなるくらい出来ない自分と初めて向き合うことに。
恥ずかしくて悔しくて、営業や人間関係構築、リーダーシップ、あらゆる心理学の勉強にのめり込むことに。

私のページに初めて「勉強」と言う2文字が刻まれた瞬間でした。

20歳 賃貸・売買の仲介・管理をする会社に転職

社長とその友人の方に声をかけていただき入社。
小さな会社でしたが、大変ユニークな社長の元、様々な経験をさせていただきました。

最終的には会社全体を任せていただくことになり、ほんの少しだけ経営的な側面に触れられました。
私のページに「社長がお金を使いすぎると会社が傾く」という大きな学びが刻まれました。

23歳 販売会社へ転職

いわゆる、残戸処理という仕事で、デベロッパーが作って売れ残った物を売るという営業力の問われる職場でした。
輪転機という、コピー機というよりは版画マシーンのような印刷機で刷ったチラシを自転車であらゆる場所に配布し、お客様を探すという泥臭いお仕事でした。

この会社でお会いした上司の方々は素晴らしい営業力を持っていて、大変勉強になりました。
私のページに「電柱にビラを貼ってはいけない」という教訓が刻まれました。

代表インタビューの様子04

24歳 リノベ再販業者へ転職

知り合いのコネ的なお声がけで、中古のマンションを買い取ってリノベーションを行い再度販売する会社。
略してリノベ再販業者へ転職し、初めは販売の部署へ。後半は仕入れの部署へ。

1,000人近い社員がいる、今までで一番大きな会社でした。
なんと3ヶ月以内に決められた成果が出ないと、容赦なく首にするスタンスの会社でしたので、大変多くの方々と知り合うことになりました。

頼れる仲間との出会いや先輩に恵まれた一方で、営業成績を残すためには時間の有効活用が必要でしたので、飲み会や愚痴大会に参加しないスタンスを貫くと大変嫌われました。

ここでの成績1位が一番大変でしたが一番嬉しかったです。
支え、助けていただいた仲間や先輩には大変感謝しております。

私のページに「労働基準法」が刻まれました。

28歳 収益物件買取再販業者へ転職

知り合いの紹介で入社したこの会社では素晴らしい学びが沢山ありました。

金融機関の大切さや、物件の目利き、修繕、賃貸付け、物件の収益性の判断など、
今まで培った全ての能力を駆使しなければならない現場で、脳がフル回転しました。

勤務時間も相当なもので、夜中の0時に仕事が終わり、朝7時には会社に居ると言うハードワークも経験出来ました。
私のページに「全力の出し方」という能力が産まれました。

代表インタビューの様子05

29歳 不動産会社として遂に独立

頼れる仲間6人と共に、収益不動産の買取再販の会社を創業。

1期目で40億、2期目で60億、3期目で80億もの売り上げの会社をたった8人で行っておりました。ここでは書ききれない程多くの学びがあり、大変いい経験をさせていただきました。

今まで学んできた全てを、全力でぶつけるとこんなことができると思い知らされることも多々あり、経営って難しくも素晴らしく楽しい!と感じます。
悲しくもお金で変わる人間模様も見られましたし、大きな裏切りも経験できたのは今考えると有り難い経験だなと思います。

そんな中で自分の中にある考えが。
自分がお世話になったこの不動産業界で、もっと多くの方々を幸せにしたい。
嫌な思いをする方を減らしたい。
文章にすると大変照れくさいのですが、本当にそういう考え方をするようになりました。

そこで感じたのは、不動産業者としては目標を達成したので、次は不動産テック業界に行きたい!でした。
そうなると、不動産屋が自分たちの為に不動産テックをやったのでは業界の為にならない。
全力で業界を応援するためには自分達は当事者ではなく、第三者でなければいけないと思い立ち、不動産業者としては一旦ここで終わろうと事業を畳みました。

私のページに「社会貢献」という考えが芽生え始めました。

33歳 リアンコネクション創業

現在に至る。

なんと!
ここまで読んでいただけるとは大変光栄です!
こんな長い代表紹介ページなんて普通無いですよね。

それでもここまで読んでいだけた方には大変感謝ですし、織田マスターの称号をお渡しさせて下さい!

最後に。

私の一番の能力が何かと問われたらそれは「運がいい」ということです。

よくお読みいただけた方にはおわかりだと思いますが、私は一度も履歴書を送るような転職活動をしておりません。
つまり、今まで出会う方々に尽く恵まれているということです。

リアンコネクションで私を助けてくれる全てのスタッフにしても、支えてくれる友人にしても、アドバイスをいただける先輩にしてもです。
そこで、小さな恩返しとして僕に合言葉を言ってください。

「あなたは運がいい!」そう言っていただけた方には私からご飯をご馳走させて下さい!
長々とありがとうございました!

それではこれからも何卒よろしくお願い申し上げます。

株式会社リアンコネクション
代表取締役 織田 京太

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